平成25年度 秋の自主巡検 in石巻
平成25年11月23日(土) 宮城県石巻市周辺
【参加者】
長 井 早川先生、金田先生、齋藤先生
米沢工業 有川先生、長岡(案内・記録・報告)
今年の自主巡検は、今までお世話になっていた公平先生がご退職ということで、企画・準備・案内を全て自分たちだけでやらなければならないという、大変不安なものでした。7月の地理部会の際、「被災地を訪ねたい」という意見が出たため、そこから準備が始まりました。『被災地』といっても、かなり幅が広いわけですが、日帰りとなると置賜から近場でなければならない…。いろいろと調べたものの、非常にデリケートな地域でもあるので、企画は時間がかかりました。
そんな中で、今までの中では一番遠出となる「石巻」を候補地とし、各先生方からのOKももらったので、準備に取りかかりました。実施日の直前にはいろいろと不具合が発生し、「行けないかもしれない」との不安もよぎりましたが、何とか行くことができました。
当日は7時に赤湯駅に集合。前日まで悪天候が続いていましたが、朝焼けの飯豊連峰がとてもきれいに見える中、山形から山形道〜東北道〜南部道路〜東部道路を経由して、第一研修地へと到着しました。
【巡検ルート】
イーストファームみやぎ(綿花畑) 〜 JR柳津駅 〜 道の駅「上品の郷」
〜 大川小学校 〜 石巻市中瀬
〜 日和山公園 〜 日本製紙石巻工場
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イーストファームみやぎ直売所(綿花畑) 遠田郡美里町
以前、『ap bank fes’11』というイベントのDVDを見ていた時、宮城県の沿岸部で、津波のために塩害が発生し、耕作不能となった田んぼで綿花を育て始めたという話題が取り上げられていました。これが、『東北コットンプロジェクト』です。
*東北コットンプロジェクト:http://www.tohokucotton.com/
このプロジェクト立ち上げで、農家側の中心的な役割となったのが、今回お邪魔した(有)イーストファームみやぎの代表取締役・赤坂芳則さんです。この日は、偶然にも(?)イーストファームみやぎの、ライス&コットン収穫祭というイベントをやっている日でした。9:30頃に現地に到着すると、ちょうど準備をされているところでした。そこを話題の赤坂さんが通りがかり、忙しそうにしているのにも関わらず話しかけました。
準備中の直売所 周囲には、のどかな風景が(田んぼには白鳥の姿も)
「すみません。われわれ山形から来たのですが、綿花畑を見てみたくて…」と言うと、近くにいらっしゃった、綿花栽培のスタッフの方に「案内してあげて」と段取りをして下さいました。連れて行って頂いたのが車で5分のところにある「赤坂農場」でした。2haの綿花畑ですが、先週、収穫体験のイベントをやったばかりだということで、畑には綿花のついていない茎だけが残っていました(少しだけ取り残しはありましたが)。倉庫も見せて頂き、収穫して自然乾燥させている綿花の実を見せて頂きました。
2haの農場に植えられた綿花 畑の横にある作業場
前の週に収穫された綿花が自然乾燥中 外には、天日干しされた枝付きの綿花
その後、直売所に戻って収穫祭に参加しました。まずは、綿花摘み取り体験。直売所横にある20aほどの農場で、まだ収穫されていない綿花を摘み取りました。小さい子どもから年配の方まで、約30人で収穫体験を楽しみました。われわれ地理部会チームは、ひとつのネットにみんなで力を合わせて摘み取りました。
スタッフの方から収穫方法について説明を聞く こちらの畑には、たくさんの綿花の実が
思い思いに、収穫を楽しみました 5人で約20分収穫した成果
収穫体験後は再び直売所に戻り、受付で収穫体験の引き替えに綿花の実を1つと、限定ポテトチップス(赤坂さんのジャガイモを使い、宮城県の商業高校生が発案し、菓子メーカーとコラボして作った商品)の記念品を頂きました。その後は、振る舞いの豚汁とずんだ(じんだん)餅をおいしく頂き、最後は買い物をしました。直売所でお世話になった、赤坂さんをはじめ、案内して頂いたスタッフの方。同じ山形出身の女性の方。切り盛りをされていた直売所の方々など、多くの方々に親切にして頂き、とても充実した研修になりました。ありがとうございました。
直売所の綿製品コーナー 振る舞って頂いた、豚汁とずんだ餅。大変ありがたかったです
*イーストファームみやぎ:http://www.eastfarm.co.jp/
A
柳津駅(BRT) 登米市
地理部会の中でも、交通部門に関心がある長岡が企画したために、石巻市から少し離れた位置にある柳津駅も、コースに入ってしまいました。しかも、最初の見学地がとても楽しく、予定した時間を大幅にオーバーしていたので、ここからどれだけ修正できるかが案内人の腕の見せ所となってきます。
ということで、予定より30分遅れて到着。もともとの予定では、列車とバスを両方見られるはずだったのですが…いました!駅前にバスが!!ラッキーです。しかも、車を降りると、駅のホームには列車が!!!時間がズレたにも関わらず、まさにBRTの接続を見ることができてラッキーでした。しかも、到着して数分後には列車が出発していきました。
左が気仙沼行きのBRT。写真奥側の線路は、現在不通となっている。その後、前谷地行き列車が出発
B
道の駅「上品の郷(じょうぼんのさと)」 桃生郡河北町
今回、昼食地点に選んだのが道の駅「上品の郷」です。私は個人的に道の駅めぐりが好きで、機会があれば全国の道の駅を訪ねています。その中でも、この上品の郷はとても好きな道の駅の1つです。比較的広い施設(しかし、広い駐車場も常に満車に近い状態です)。温泉が併設されている。震災後には、ボランティアに来た人たちがここで汗を流して帰るという姿が見られました。
物産コーナーも充実しており、海産物や野菜、お土産などが所狭しと並べられています。ここでは、鯨肉の販売会もあり、以前訪問した時には朝早くから大行列になっていました。そんな大人気の道の駅ですが、今回はレストランで昼食を摂ることになりました。全員一致で、昼食バイキングを選択。1000円という格安で様々な種類の魅力的なメニューを堪能できました。普段は小食の先生方も、この時ばかりはいつも以上に入ったようでしたし、普段から大食いの先生方も、いつも通り入っていったようでした。
あまりにも種類が多く、ちょっとずつ取りましたが、全制覇はできませんでした
C 大川小学校 石巻市大川
午後は、石巻市に移動して津波の被害にあった地域を訪問しました。まずは、道の駅から真っ直ぐ東へ。北上川を河口に向かって走りました。到着したのが、多くの児童が犠牲となった大川小学校です。周辺は、堤防や道路など復興のための工事が急ピッチで行われていました。大型ダンプなどの工事関係車両が数多く行き来していました。
大川小学校の入口には、簡易の慰霊碑が造られており、我々も献花をさせて頂き、手を合わせてきました。この時ばかりは、津波の影響を受けた学校の様子を目の当たりにし、全員しばらくの間声を出すことができませんでした。その後、周辺を歩いたのですが、なかなかカメラを向ける気になりませんでした。大型のバスで大人数のグループの人たちがやってきましたが、大声で話をしながら、あちこちを見て回っている様子を見て、なんだか複雑な気持ちになりました。
しばらく見て回り、帰ろうとした我々のところに、地元の方がいらっしゃって、「山形からいらっしゃったんですか?」と話しかけてこられました(車のナンバーを見てだと思います)。そして、当時の様子やご自身の想いなど、いろいろなお話をお聞きすることができました。
その場を離れるときに感じたことは、学校教育に関わっている者として、同じような状況に遭遇した場合、果たして適切な判断をすることができただろうか?ということでした。さまざまな批判や意見を報道などで見聞きしますが、そういったことも含めて、大きく考えさせられる時間でした。
2階建ての校舎は、上の階まで完全に津波の被害を受けていました。本当に恐ろしい光景です
津波がなければ、今でも児童たちが元気に活動
学校の裏山は、子どもたちが避難できただろうかと
していた場所。同じ年ごろの子どもを持つ親の
考えました。木や硬い草などが生えた急斜面。この
気持ちと、教員としての気持ちが葛藤して、複
状況で、とっさにどう判断するか。結果論であれば
雑な想いがありました。
この山に避難させるのが最善だったでしょうが…。
D 北上川の中州 石巻市中瀬
JR石巻駅から徒歩で15分のところにあり、旧北上川の中州となっているところが、「中瀬」です。もともとは、劇場や教会、公園などがあり、かつては造船所もあったそうです。しかし、そのほとんどが津波で無くなりました。
現在ここには、宮城県出身の漫画家、石ノ森章太郎さんのマンガミュージアムである、「石ノ森漫画館」があります。震災の影響で被害を受け、修復のため休館していましたが、ちょうど1年前(2012年11月17日)にリニューアルオープンをしたところです。今回は、時間もなく訪問できませんでしたが、けっこう多くの人が入館している様子でした。ちなみに、この中瀬は「マンガッタン島」という通称を持っているようです。
我々は、もともと公園の駐車場だったと思われるスペースに止めて周辺を歩きました。震災前の姿を想像することができないくらい、周囲の建物が流されていました。
中瀬から河口側を望む。実物の1/7サイズの「自由の女神」がありますが、破壊されていました
E 日和山公園 石巻市日和が丘
中瀬から西側の対岸にある小高い丘が「日和山」です。車でも登るのが大変な坂道を駆け上がり、駐車場に停めて日和山公園へと向かいました。ここからは、太平洋方向・北上市街地方向を俯瞰することができます。ここから撮影された、津波が来た時の映像が動画サイトにアップされているのを見たことがあります。ここへ避難してきた人たちは、どのような思いで、自分たちが住む町に襲いかかる大津波を見ていたのでしょうか。自分の家や街が、目の前で失われていくということを、考えただけでも切なくなりました。
太平洋側から下を見ると、海岸線から日和山の麓まで草だけが生えている更地のような地域が広がっていました。そこは震災以前まで、きっと住宅や工場、商店などが立ち並んでいる場所だったんだろうと思います。そこは、門脇町・南浜町という地区だそうです。石巻で犠牲になった方の約1/10は、この両地区で亡くなったのだそうです。山からは、建物が無くなった地区の中に、お寺とお墓がはっきりと見ることができました。ここは、称法寺というお寺で、震災の時には本堂も大きな影響を受けたそうです。お墓も約800基あるもののほとんどが倒壊したそうです。おそらく、ボランティアなどの協力で、瓦礫の撤去や倒壊した墓石の修復をしたのではないかと思います。
ここでも、地元の方と思われる男性が齋藤先生に声をかけ、当時のことやその後のことなどを丁寧に教えて下さったそうです。
日和山から見た南浜・門脇地区の様子。写真左に見えるのが称法寺。木の間からお墓が見える。
日和山から見た中瀬。写真左の左上にあるのが「石ノ森漫画館」。右下に小さく見えるのが「自由の女神」。
日和山の柵には、震災前の景色が貼られていました。
日和山の鳥居は、震災の影響で
写真の手前に見えるのが、かつての造船所でしょう。 ヒビが入ったそうです。
F 日本製紙石巻工場
「クリネックス・ティッシュ」で有名な日本製紙株式会社。今年大活躍だった、プロ野球・楽天ゴールデンイーグルスの本拠地である県営宮城球場は、日本製紙が命名権を持っており、「日本製紙クリネックススタジアム宮城」という名前です(2013年11月現在)。
そんな日本製紙ですが、この石巻工場も震災の影響で施設・設備が影響を受けましたが、 2012年に復旧し、稼働を再開しました。この工場には、併設してJR貨物の線路が通っており、「石巻港駅」という貨物専用の駅もあります。そして、工場で作られた紙製品は、この線路を使って貨物列車に載せられ、全国各地へと運ばれていくのです。
奥の煙突の建物が、日本製紙の工場。茶色のコンテナが貨物用。 青い機関車が待機
ところで、この石巻港駅からは、震災で発生した瓦礫が運ばれていきます。今年の3月までは、石巻周辺の瓦礫が集められ、専用の貨物列車に積んで東京に運ばれていたそうです。その後も、大船渡市などの瓦礫がここに集められ、列車で東京都へと運ばれているようです(いつまで続くのかは不明ですが)。
G おまけ
我々は日本製紙を道路から眺め、帰宅の途につこうとしてしました。その前に、近くにあったコンビニで、買い物がてらトイレなどを済ませていた時のことです。ちょうどそのコンビニは、日本製紙から続く線路沿いにあり、踏切もありました。その踏切では、鉄道ファンと思われる方が、三脚を立てて真剣にカメラをのぞき込んでいらっしゃったのです。その姿を興味津々に見つめていたのが、早川先生でした。先生は、気になることがあれば即行動ということで、あっという間にその方に近づいて質問されていました。
そして…。「あと5分くらいで、貨物列車くるそうだよ(運休じゃなきゃ)」という情報
に、一同「おー、すごい。少し待ってみましょう」ということに。で、5分後に来たのが赤いディーゼル機関車に引かれた貨物列車でした。
幸せの(?)赤い機関車を偶然見ることができた一行は、ここで石巻をあとにしました…。
最後にやって来た、紙製品用と思われる貨物列車 【参考】瓦礫運搬用の専用コンテナ