2011年度 秋の自主巡検  in北会津

           平成23年11月23日() 晴れ

【参加者】  

 米沢中央  公平先生(案内・運転)

 米沢工業  有川先生、白旗先生、長岡(記録・報告)

  長 井   早川先生、金田先生

 

【巡検ルート】

 米沢工業高等学校  〜(国道13号線)(国道115号線)〜  亀ヶ城址  〜  

 

  土津神社  〜  天鏡台  〜  慧日寺跡・慧日寺資料館  〜  

 

蒲生氏郷の墓  〜  勝常寺  〜  米沢工業高等学校

 

 毎年恒例となっている置賜地区地理部会秋の自主巡検。今年は、北会津地方を巡る計画です。会津地方は2006年以来2度目となります。今回もまた、いつもお世話になっている、米沢中央高校の公平先生にガイドして頂きました。

 公平先生の運転で米沢工業高校を出発し、板谷峠を越えて福島県へ。その後、フルーツラインを通り国道115号線へ。晩秋の吾妻山を右手に見ながら会津を目指しました。

 

@亀ヶ城址

 最初の見学地は亀ヶ城址。地形的には、磐梯山の噴火でできた小高い丘(泥流の突端部)となっています。同じ会津にある鶴ヶ城とともに、江戸時代に一国一城令が出されたあとも例外的に城として認められ、明治まで残りました。戊辰戦争の際、焼き払われて建物が全て失われるまで、約600年間石垣ひとつ崩れることなく残ったそうです。

 元々は、猪苗代氏の居城であったことから「猪苗代城」と呼ばれていましたが、「鶴ヶ城」に対する形で「亀ヶ城」に名前を変えたと言われています。

  

           ↑高低差があるのが   ↑磐梯山真ん中の猪苗代スキー場から、こ

            わかります。      の場所に向かって高台となっています。

http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse/index.html?longitude=140.10399305479&latitude=37.561768198215

 

 

A土津神社

  土津(はにつ)神社です。読み方が難しいです。ここは、会津藩主 保科正之(2代将軍・徳川秀忠の子)を祀ってある神社です。正之は、自分の死後ここに祀るように遺言を伝えていたと言うことです。戊辰戦争の際に元々の建物は焼失し、現在は建て直されたものです。

 境内にある亀の上に載った石碑は、日本最大のものだそうです。

 

白い鳥居が特徴的な土津神社            境内の様子

 

境内にある亀石の石碑は、高さ7.3mで日本一の高さだということです。

 

B天鏡台

 磐梯山の中腹に広がる台地で、後に磐梯山、前に猪苗代湖という風名明媚な場所です。昭和45年に昭和天皇・皇后両陛下が出席された全国植樹祭の時に、「天鏡台」と名付けられました。その後、名称を「昭和の森」に変え、森林公園として整備されています。

 この日は、前日に降った雪がうっすらと積もっており、素晴らしい景色のアクセントになっていました。

 

天鏡台から見下ろす猪苗代湖    

 

C慧日寺跡・慧日寺ミュージアム

 磐梯町にある慧日寺(えにちじ)は、平安時代に高僧・徳一が開いた寺院です。開基がはっきりしている寺院の中では、東北最古の寺院だそうです。明治時代に一旦廃寺となったものの、その後「恵日寺」として復興したそうです。今は遺構が残っており、国の史跡に指定されています。現在、復元整備が進められており、2008年には金堂が完成しています。

 

    ↑復元された「中門(手前)」と「金堂()」       ↑金堂の中の様子

 

 ↑「講堂跡()」と「食堂跡()」       ↑「講堂跡(手前)」と「食堂跡()

 

↑屋根の模型。杉材を使用し、「とち葺き」   ↑青い空の下、紅葉も綺麗でした。

という手法で葺かれている。

 

D昼食

 昼食は、コーディネーターの公平先生からご提案があった、会津若松市内の輪箱(わっぱ)飯に決定。市役所そばにあるお店で、非常に由緒ありそうな建物で、団体の観光客も多く、入りにくいのかなぁと思っていましたが、意外とそうでもなく、家庭的な雰囲気でした。

 

なかなか雰囲気の良いお店でした。    ↑数あるメニューの一つ(五種輪箱)

 

E蒲生氏郷の墓

 昼食のお店からそう遠くない場所にあったのが、蒲生氏郷(がもううじさと)の墓です。 蒲生氏郷は滋賀に生まれ、織田信長に仕えました。その後、天下統一を果たした豊臣秀吉に命じられ、氏郷は会津に入りました。もともとは黒川という土地でしたが、氏郷が生まれ育った「若松」という森の名前をここにつけたということです。キリシタン大名としても知られる氏郷は、『レオ氏郷』という洗礼名を持っており、会津にキリスト教を広めたということです。また、会津の街割りや鶴ヶ城の整備にも力を入れ、わざわざ近江から技術者を呼び寄せて、天守閣を建設したと言われています。

 氏郷は40歳という若さで亡くなりました。墓は京都にあり、この場所にある墓には、遺髪がおさめられています。

 

 

F国宝・勝常寺

  会津若松市と喜多方市の間にある湯川村にある勝常寺は、高僧・徳一が807年に開いたとされています。当時は多くの建物が建つ大寺院だったということですが、現在は、薬師堂などがひっそりと建っているだけとなっています(現在の建物も再建されたもので、創建当時のものはありません)。しかし、薬師如来座像・日光菩薩立像・月光菩薩立像の3つの国宝をはじめとして、平安初期の仏像が12体残っています。他の時代のものも含めると約30体が残っており、これだけの仏像が、都の周辺以外で残っているのは非常にまれだということで、それだけここが大規模な寺院だったということを表しているのでしょう。しかし、国宝が入っている収蔵庫は、ちょうど数日前に今シーズンの拝観を終了…(残念)

     

↑右の白い建物が収蔵庫(11月中旬で拝観終了)   ↑室町時代に再建された講堂(薬師堂)

 

 

 

 

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